BOØWY(ボウイ)は、日本のロックバンド。1980年代に活躍。1981年、群馬県高崎市出身の氷室京介、布袋寅泰、松井恒松を中心に東京で結成される。初ライブ後に高橋まことが加入し、1982年3月に『MORAL』でレコードデビュー。当初は6人編成だったが同年秋に2人が脱退し、以降は解散まで4人編成で活動する。…
99キロバイト (11,794 語) - 2023年5月11日 (木) 03:28
「まだBOOWYの再結成を諦めたくないですが、布袋さんの言葉を聞くと現実的には難しそうですね…高橋さんには頑張って取り持ってもらいたいです。」

1 jinjin ★ :2023/05/11(木) 11:43:53.77ID:KZcSGaCy9
布袋寅泰、高橋まことを“公開説教”でBOOWY再結成は絶望的「布袋と氷室の仲を取り持てるのは高橋しかいない」


《何も知らずに言うこと言うな。》

──5月3日、こう怒りのツイートをしたのは元BOOWY(「BOOWY」の3文字目は、ストローク符号付きのO)のギタリスト・布袋寅泰(61才)。

矛先が向けられたのは、同バンドのドラマー・高橋まこと(69才)だ。騒動のきっかけは4月29日に高橋が《もうこの三流国日本には五輪も万博も要らねえよ》とツイートしたことだった。



「2021年の東京オリンピック・パラリンピックはその後、利権絡みの汚職が次々と発覚し、2025年に開催予定の大阪・関西万博もコスト面などさまざまな問題点が指摘されています。そうした背景から、高橋さんはツイートしたようで、同調する声は日を追うごとに増えていました。すると布袋さんが、高橋さんのツイートに返信する形で《何も知らずに〜》と苦言を呈したんです。布袋さんは東京パラリンピックの開会式でギターを披露しましたから、黙ってはいられなかったのでしょう。元メンバー同士の生々しいバトルは、あっという間に布袋さんの“公開説教”だと話題になりました」(芸能関係者)


しかし布袋は騒動が大きくなった翌日に、当該ツイートをひっそりと削除。

一方の高橋は、その後も《やっぱりおいらはものを申さないといけないと感じました》と、政治や行政に対する“言論活動”を続けている。

「近年の高橋さんは、政治に対し攻撃的な発言が目立ちます。ロッカーとしての反骨精神なのでしょうか。ある有名芸人さんにも“腐れ芸人”と噛みついたり……布袋さんとのバトルが今後どうなるのかわかりませんが、2人の決別は決定的という声も聞こえます」(前出・芸能関係者)


BOOWYファンをざわつかせた今回の騒動は、2人の諍いにとどまらず、さらに大きな問題もはらんでいた──。


問題を明らかにするには、2人が名を連ねたBOOWYの歴史を振り返る必要がある。
1981年に結成されたBOOWYは、布袋と高橋にボーカルの氷室京介(62才)とベースの松井常松(62才)を加えた4人組のロックバンド。


ヒット曲を連発して1986年には日本武道館での公演を成功させるも、人気絶頂だった1987年12月に突然解散を発表。解散の理由が明かされぬまま、翌年4月にバンド活動を終了した。
布袋は自叙伝『秘密』(2006年・幻冬舎刊)に、解散理由を《墓場まで持っていく》と意味深に綴った。

「解散の理由は諸説ありますが、バンドの2本柱だった氷室さんと布袋さんの間にはBOOWY結成初期から“確執”があったといわれています。原因は“女性問題”とされていて、氷室さんは布袋さんの元交際相手とのちに交際したのですが、そのことを布袋さんが面白く思っていなかったようなんです。2人の間には、ずっとわだかまりがあったとされています」(前出・芸能関係者)


解散を決定づけたのは、氷室に対する布袋の“仕打ち”だった。

布袋は解散発表の前年の1986年に歌手の山下久美子(64才)と結婚し、BOOWYの活動と並行して彼女のツアーにバックバンドとして参加するようになった。

「山下さんのツアーに帯同する際、布袋さんはバックバンドとして、高橋さんと松井さんにも声をかけました。ですが、氷室さんを誘うことはなかった。そのやり方に違和感を覚えた高橋さんは、氷室さんに事情を説明した上で参加しようとしました。実はこの頃メンバー間では解散話が出ていたこともあって、高橋さんから話を聞いた氷室さんは、“来月解散しよう”と激怒したともいわれています」(音楽関係者)


解散以降、布袋と氷室が公の場で共演したことは一度もない。
これが最初の盟友との決別だった。



以下、続きはソース先
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e6f7c2401477368cab44eb98949f6ec5b1d15a6?page=1

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