| 【記事全文】新庄剛志監督 野球以外に考えたスポーツの選択肢「野球選手とどっちがもうかる?って聞いたら」 - スポニチ Sponichi Annex 【記事全文】新庄剛志監督 野球以外に考えたスポーツの選択肢「野球選手とどっちがもうかる?って聞いたら」 スポニチ Sponichi Annex (出典:スポニチ Sponichi Annex) |
新庄監督の話聞いて笑ったわ。子供の頃はマラソンに本気でハマって「将来は瀬古さん!」って思ってたのに、サッカーではキーパーが逃げるレベルのキック力とか、どんだけ運動神経バケモンなんだよ(笑)。結局お父さんに「どっちがもうかる?」って聞いて野球選んだってのが新庄らしい現実主義で面白い。
もし新庄がマラソン選手になってたら今頃どうなってたんだろう?みんなはどう思う?
もし新庄がマラソン選手になってたら今頃どうなってたんだろう?みんなはどう思う?
1 ネギうどん ★ :2026/04/08(水) 17:02:32.98 ID:oN7DOvsc9.net
日本ハム新庄剛志監督(54)が、5日放送のTOKYO FM「木村拓哉 Flow」(日曜前11・30)にマンスリーゲストとして出演し、プロ野球選手になるまでのいきさつを語った。
長崎県生まれ。その後福岡県へ移り、少年時代を過ごした。西日本短大付から89年ドラフト会議で、阪神から5位指名を受けて入団した。走攻守そろった万能ぶりだけでなく、派手なパフォーマンスも人気に。その後、メジャーにも挑戦し、メッツやジャイアンツでプレーした。
小さいころから運動神経は抜群だったという。最初に興味を示したのは、長距離走だった。「野球は一番最後。一番最初、マラソンなの。マラソンが大好きで」。木村拓哉が「マラソンってさ、好きになるの難しくない?」と驚くと、新庄監督は「将来、瀬古になりたかったのよ」と答えた。
福岡で開催された福岡国際マラソンを現地で観戦したという。瀬古利彦が、イカンガーとのデッドヒートを制して優勝。新庄少年はそのレースに感銘を覚えたという。「俺、見に行ったのよ。その時の瀬古さんがかっこよすぎて。42キロずっと付いて行って、平和台競技場に入って、歓声を浴びて、150メートルでラストスパートで1位になるんだから」と振り返った。
「俺マラソン大会、ずっとまねしたもん。余裕なんだけど、1位って思いながら、最後のラストスパートで抜く。俺は瀬古さんになりたいってずっと思っていて。仮面ライダーじゃなかったのよ」
その後、サッカーもプレー。「俺、むちゃくちゃドリブル速くて、むちゃくちゃキック力あるよねって。ガン!って蹴った後に、キーパーが逃げるぐらいのキック力だったの」。それと同じタイミングで始めたのがソフトボールで、投手としてプレーした。
最終的にどのスポーツへ進むべきか、父に尋ねたという。「親父に“マラソン選手と野球選手とどっちがもうかる?”って聞いたら“野球たい”って言うから、じゃあ野球をしてみようかっていうのがきっかけかな」。父に川原へ連れて行かれ、石を投げてみると、天性の強肩ぶりを発揮。「小学校4年生ぐらいで90メートルくらい投げていたのよ、その石を。そしたら親父が“ありがとう。もうプロ野球選手”って思ったみたいで」。父はプロ野球選手になる夢を断念した経緯があり、新庄監督にその夢を託したのだという。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/04/05/articles/20260405s00041000228000c.html
前スレ
https://hayabusa9.5ch.io/test/read.cgi/mnewsplus/1775618178/
長崎県生まれ。その後福岡県へ移り、少年時代を過ごした。西日本短大付から89年ドラフト会議で、阪神から5位指名を受けて入団した。走攻守そろった万能ぶりだけでなく、派手なパフォーマンスも人気に。その後、メジャーにも挑戦し、メッツやジャイアンツでプレーした。
小さいころから運動神経は抜群だったという。最初に興味を示したのは、長距離走だった。「野球は一番最後。一番最初、マラソンなの。マラソンが大好きで」。木村拓哉が「マラソンってさ、好きになるの難しくない?」と驚くと、新庄監督は「将来、瀬古になりたかったのよ」と答えた。
福岡で開催された福岡国際マラソンを現地で観戦したという。瀬古利彦が、イカンガーとのデッドヒートを制して優勝。新庄少年はそのレースに感銘を覚えたという。「俺、見に行ったのよ。その時の瀬古さんがかっこよすぎて。42キロずっと付いて行って、平和台競技場に入って、歓声を浴びて、150メートルでラストスパートで1位になるんだから」と振り返った。
「俺マラソン大会、ずっとまねしたもん。余裕なんだけど、1位って思いながら、最後のラストスパートで抜く。俺は瀬古さんになりたいってずっと思っていて。仮面ライダーじゃなかったのよ」
その後、サッカーもプレー。「俺、むちゃくちゃドリブル速くて、むちゃくちゃキック力あるよねって。ガン!って蹴った後に、キーパーが逃げるぐらいのキック力だったの」。それと同じタイミングで始めたのがソフトボールで、投手としてプレーした。
最終的にどのスポーツへ進むべきか、父に尋ねたという。「親父に“マラソン選手と野球選手とどっちがもうかる?”って聞いたら“野球たい”って言うから、じゃあ野球をしてみようかっていうのがきっかけかな」。父に川原へ連れて行かれ、石を投げてみると、天性の強肩ぶりを発揮。「小学校4年生ぐらいで90メートルくらい投げていたのよ、その石を。そしたら親父が“ありがとう。もうプロ野球選手”って思ったみたいで」。父はプロ野球選手になる夢を断念した経緯があり、新庄監督にその夢を託したのだという。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/04/05/articles/20260405s00041000228000c.html
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