なだぎ なだぎ たけし、1970年〈昭和45年〉10月9日 - )は、吉本興業東京本社に所属しているお笑いタレント、漫談家、俳優、YouTuber。アイドルグループ吉本坂46のメンバー。大阪府堺市出身。R-1ぐらんぷり2007・2008優勝者。本名は灘儀 (読み同じ)。妻は舞台女優の渡邊安理。一児の父。…
55キロバイト (7,493 語) - 2023年5月11日 (木) 20:51
なだぎ武さんも本当に悲しみに暮れているんですね。母と最後の連絡ができなかったことが心残りであることがうかがえます。ご冥福をお祈りいたします。

1 ネギうどん ★ :2023/05/15(月) 11:22:58.99ID:Mo3Wfkj49
なだぎ武(52)が15日までにインスタグラムを更新。「母の日 先日、母が亡くなりました。家族葬で、通夜も葬儀も終えました。母はステージ4の大腸癌でした」と実母が亡くなったことを報告し、幼少期に母に抱かれた写真を公開した。

なだぎは「大腸癌と言われてから、手術をいくつか経験し、抗がん剤治療を受け、癌とずっと戦っていました。そこから6年くらいになると思います…最後は腹水の症状が出、膨れ上がった体に苦しみ、疲れ、水も抜いてもらえないまま、静かに部屋で一人息を引き取っていました」と、母の闘病がおよそ6年に及んだと明かした。

母の*当日についても、克明につづった。「その日昼過ぎにメールをし、その数時間後、電話が掛かってきたけど映画を観るために着席していたのもあり、予告も始まっていたので、気づいてはいたが改めて観終わってから折り返えそうと、着信を切ってしまった。映画を観終わり、帰宅して改めて連絡するが繋がらず、弟にLINEをするも既読にならず。」と、母が亡くなった当日にLINEをし、数時間後に折り返し電話がかかってきたものの、映画を見ていて出なかったと振り返った。その上で「そのちょっとしてから父から電話。『おかんが逝ってもうたわ…』『え!?』意味がわからなかった、、、『え?なんで!?さっき電話くれてたのに、、え??、、あれが…もしかして最後の連絡になったの!?なんで、、なんで出やんかったんや、、』一気に後悔と悔しさが押し寄せ、動揺が止まらなくなった」と悲痛な思いをつづった。

実家に戻った際のもようと、心中もつづった。「『とにかく今から帰る!、、』と、父に伝えて急いで家を出た。信号待ちをしていたタクシーに走って乗り込み東京駅へ。その間動悸は止まらず、電話に出なかった後悔と悔しさで涙が溢れ出てきた…新幹線の車内では呆然と、ただただ後悔の気持ちでどうしようもなく涙が出続けた」と、実家へ戻る間、泣き続けたと明かした。「実家へ着き、母の顔を2ヶ月ぶりくらいに見た。顔や身体に黄疸が現れてて真っ黄色くなってた、、腹水で足は膨れ上がってて、膝も曲げれず移動も寝返りもままならない状態。『この体でよく今まで頑張ったな、、しんどかったな…辛かったな…眠る事も出来んかったやろ、、結局ろくな親孝行も出来ずにごめんなさい、、』」と、亡くなった母と対面した時の様子、心情をつづった。

母の闘病生活についても説明。「母はこれまでに抗がん剤治療での副作用で、髪が抜けたり顔が浮腫んだり、時には口の中が口内炎だらけで真っ赤っ赤になる事もあった。手術を何回か繰り返しては抗がん剤治療。若く無い体で辛かったし苦しかった日々の連続やったと思います」

その中、20年9月に女優の渡邊安理(38)と結婚し、22年8月に第1子が誕生したことを踏まえ「そんな中、結婚の事や孫の誕生を伝えた時は泣いて喜んでくれた。たった一度だけしか叶わなかったですが、少しの時間、孫の顔を直接の見せてあげれた事は、良かったと思える出来事の一つでした」とつづった。一方で「それと10年くらい前に書いた『サナギ』という私の自伝本。この本を読んでくれた人から、よく『この本を読んだら、なだぎさんのお母さんに会いたくなる…』と言われた事が、息子として物凄く嬉しかった。今思えばLINEでビデオ通話して孫の顔をもっと見せてあげる事が出来たな…とか、もっと実家に帰ってあげる事が出来たな…とか、後々になって気づく事だらけで、自分が嫌になります、、まだまだ孫の成長を見てほしかった矢先…」と、実家になかなか帰ることが出来なかったことへの、悔恨の念をにじませた。

続きはソースで
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202305150000278.html?Page=3

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