第二山手線(だいにやまのてせん) 東京山手急行電鉄 - 山手線の外側に環状路線を建設することを計画していた。 東京メトロ副都心線 - 山手線の混雑緩和のために計画され、「第二山手線」という呼び名もあった。 武蔵野線 - 首都圏を一周していることから開業当時、こう呼ばれた。 ^ 武蔵野線と三郷 三郷市、2022年1月13日閲覧…
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この項目では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 『ブラタモリ』は、NHK総合テレビジョンで2008年から断続的に放送されている日本の紀行・教養バラエティ番組。司会を務めるタモリの冠番組の一つ。ステレオ放送、ステレオ2音声による解説放送(2016年4月30日放送分…
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うわー、タモリさん下北沢に来たんですね!30年ぶりだなんて、懐かしい気持ちになりますね。私も下北沢にはよく行きますが、タモリさんが夢見ていた『第2山手線』計画って、なんだかロマンチックな感じがします。

1 jinjin ★ :2023/04/25(火) 22:12:38.27ID:CKnN1lPH9
タモリ、かつて夢見て暮らしていた下北沢を30年ぶり訪問 幻の「第2山手線」計画に「実現してほしかった」


タモリが、4月22日放送の『ブラタモリ』(NHK総合)で東京・下北沢を訪れた。

下北沢駅について、タモリは「(前回来てから)30年は経っている。小田急が地下に潜ってからは初めて。ご立派になられて……」と、街の変化に驚いていた。

街を歩いて、古着店が多い点に「古着屋もぽつんと1軒あるよりは、シモキタに行けばたくさんある、となったほうが相乗効果ですね」と評した。


また、専門家が、昭和2年に計画されたという、現在の山手線の外側に、大井町から中野、王子、千住などを通り、江東区の旧町名・洲崎までおよそ43kmを結ぶ「第2山手線」について説明。

それを聞いてタモリは「実現してほしかった。うちの近くを通ったのに……」と残念がっていた。


小田急電鉄創業者の利光鶴松氏によって計画された「第2山手線」だったが、渋谷、新宿を通らないことで資金繰りに苦戦して、結局、実現しなかったという。


下北沢を歩いたタモリに、SNSではさまざまな意見が書き込まれた。

《ブラタモリ面白かった〜 第2山手線計画にビックリしましたし、タモリさんの懐かしんでる感じが良かった》

《面白かったなぁ。 今日のブラタモリ。 「第2山手線」が実現していたら東京の街の繁華街の場所も今とは変わっていたかもで興味深い》

《下北沢に行きたくなりました。タモリさんの懐かしそうな顔も良かった》


「番組内で、タモリさんが下北沢を歩いていると、通行人から『ブラタモリさん!』と声をかけられました。タモリさんは『“ブラタモリさん”じゃないですよ。私はタモリさん』と笑っていました。また、タモリさんは下北沢で、32歳のころに2年ほど住んでいたアパートの周辺を訪問して『ここで夢を見てました』とコメント。当時について『欽ちゃん(萩本欽一)の事務所があって、キャンディーズのミキちゃんがこの辺に住んでいて、(自分を含め)3人がタクシーを呼ぶ。それぞれ、あいさつしながら別の方向に行った』と懐かしそうでした」(芸能ライター)


タモリの32歳といえば『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送ほか)が始まった時期。
その後のさらなる大成に向け、夢見るタモリはシモキタ暮らしを送っていたのだ。


https://news.yahoo.co.jp/articles/606b6d360533cfe60de9afd0e3e273f32f42fee6

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