ボールは、もう右手にあった。
右足は、まだ揃っていなかった。
昼間の合同稽古が終わったあと、床に転がっていた柔らかいボールを、端のカゴへ返そうとした。誰かに急かされたわけではない。自分が、先に急いだ。カゴまでの距離は、歩いて五歩もない。それでも右手は、足より早く仕事を始めようとした。
右肩だけが、耳のほうへ浮いた。
肘は後ろに引けていない。
手首だけが、内側へ返る。
ボールはカゴを外し、壁の高い位置で音を立てた。
外れたのは、力不足ではなかった
同じボールを、稽古の途中では何度も投げていた。距離も重さも変わらない。変わったのは、投げる理由だけだった。「練習」から「片付け」に変わった瞬間、体の順番が入れ替わった。
うまくいったときは、先に左の股関節の内側が沈む。右足が着いて、骨盤が少し回って、そのあとで肘が後ろに残る。手が最後に出ていく。言葉にするなら、それだけだ。ただし、外れた日は、その説明より前に別のものが動いていた。
視線が、先にカゴへ行っていた。
顎が、ごく小さく締まる。
右肩が浮く。
肘が前に残る。
指が、離すタイミングを早める。
声は出ていない。頭の中だけが、短い言葉を先に置く。「間に合う」。足が着く前に、到着の絵だけが完成している。その絵に腕が引っ張られる。
捕ってから投げるまでのあいだに起きること
9月14日、横浜。延長十二回、同点の無死一、二塁。古市の投前の犠打を、マルティネスが捕った。一塁へ投げた球は逸れ、二塁走者が還った。試合はそこで終わった。
本人はあとで、「捕ってくれるかなと思ったが、後ろに逸れた」と話している。投球の内容についても、「思ったような投球ができなかった」と振り返っている。試合の勝敗や継投の話は、ここでは主にしない。見ていたのは、捕ってから手が離れるまでの、ごく短い間だけだ。
バント処理は、投げる仕事と拾う仕事が同じ呼吸に重なる。グラブに入った瞬間、一塁の mitt はもう見えている。走者の気配も、横から入ってくる。やることは単純なのに、体にとっては同時に二種類の「先」が立つ。行き先と、間に合わせること。
私の壁への悪投も、同じ場所で順番が崩れていた。捕ることはできている。次の動作も分かっている。分かっているのに、支えの足より先に、投げ肩が仕事を始める。手は、胴の回転を待たずに出ていく。出ていった手は、狙いより上か、外か、後ろか。いずれにせよ、自分が描いた到着点には届かない。
推測は一つだけにする。
行き先の絵が、支持脚より先に完成すると、腕は胴から独立して動きはじめる。
肩が「投げる」を先取りし、肘は遅れ、指だけが帳尻を合わせようとする。帳尻は、だいたい合わない。
うまくいった日は、肩がまだ低いままだった
同じ週の別の日、同じカゴへ同じボールを投げた。音は小さく、ボールは縁に当たって落ちた。うまくいった、というほどでもない。ただ、外れ方が違った。
その日は、カゴを見ていなかったわけではない。見ていた。ただし、見るタイミングが遅かった。右足の内側に体重が乗ってから、カゴが視野の中心に来た。肩は、その瞬間まだ落ちていた。肘の内側が、わずかに背中側へ残っていた。手が離れるとき、指先に「送る」感じがあった。「間に合わせる」感じではなかった。
思想の差ではない。気合の差でもない。先に動いた部位が違った。固まった日は視線と肩。通った日は支持脚と肘の残り。それだけを、今は残しておく。
直す前に、見る場所
会議室でも、同じ順番を見たことがある。発言しなければ、と思った瞬間に、口より先に顎が閉じて、肩が耳に寄る。言葉は、そのあとから出てくる。出てくるころには、最初の一文がすでに薄い。投げと発話は種目が違う。ただし、体が「先に到着したつもりになる」点は似ている。
だから、 tonight の確認は投げの形を直すことではない。うまく投げようとしなくていい。タオルを丸めて、三メートル先の椅子を見る。両足を揃えたまま、投げる真似だけする。そのとき、
右肩が、もう浮いていないかだけ見る。
浮いていても、下げなくていい。正しい軌道を探さなくていい。
「足が揃う前に、肩が仕事を始めている」と分かれば、それで終わりにする。
やらなくていいことも、一つだけ書いておく。外したあとに、頭の中で同じ送球を十回やり直す必要はない。体は、外れた順番をすでに記録している。再現映像を重ねると、肩はまた先に浮く。記録を消す作業ではなく、次の一回で、肩が浮く瞬間に気づけるかどうか。そちらにだけ、残りの注意を置けば足りる。
カゴは、まだそこにある。
ボールも、拾えばまた手の中に戻る。
先に動くのが肩か、足か。その差は、試合の勝敗より小さくて、次の一秒には届く。


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