道場で後輩が「もう無理です」と膝をついた瞬間、俺は思わず自分の若い頃の組手を思い出した。相手のローキックが連続で入り、足が動かなくなりかけたあの感覚。痛みを「ただ耐える」だけじゃなく、呼吸で体の奥を整えるしかなかった。そんな身体の記憶が蘇ったのは、58歳の杉本彩さんが明かした子宮腺筋症との闘いを読んだからだった。
先日58歳の誕生日を迎えた杉本彩さんが、18年ぶりのレシピ本『美筋ごはん』の取材で、50代前半に経験した壮絶な病との日々を初めて詳細に語った。一般的に50歳前後は女性ホルモンが低下する時期なのに、彼女の場合は逆に過剰に働いて子宮腺筋症を発症。生理痛という言葉では到底足りない「のたうち回るほどの激痛」で立っていられず、過多月経による貧血が重なり「本当に死ぬんじゃないかと思うレベル」だったという。
治療で女性ホルモンを下げる薬を飲んだが副作用でメンタルが崩れ、「あ、これがうつ?」と感じるほど追い詰められた。結局、鉄分と痛み止めで閉経まで耐える道を選んだ。元々乱れやすい自律神経と血管迷走神経反射が悪化し、飛行機では扉が閉まると息ができなくなり、人目を気にせずボロボロ泣いて神経を整えるという独自の方法で仕事を続けたそうだ。閉経後は「嘘のように体調がよくなった」と語り、今は「自分の体の声を聞いて、自分で自分をご機嫌にしてあげる」ことで人生で一番幸せだと笑顔を見せている。#杉本彩 #子宮腺筋症 #美筋ごはん
痛みを「観察」する力が生む静かな強さ
俺がこの話で一番引っかかったのは、飛行機での「泣き方」だ。普通なら羞恥や我慢で押し殺すところを、彼女は意図的に涙を流して自律神経をリセットした。これは単なる我慢じゃない。武道でいう「痛みを敵に回さず、味方に変える」感覚に近い。
フルコン空手を続けていた頃、俺は一度、肋骨近くに強い蹴りを受けて息が完全に止まったことがある。レフェリーが止める前に自分で立ち上がろうとして、逆に体が硬直してしまった。そのとき先輩に「声を出せ。叫べ。痛みを外に出せ」と怒鳴られた。恥ずかしさより先に声を出すことで、体の緊張がほぐれ、次のラウンドで動けるようになった。杉本さんの機内での号泣は、まさにそれだ。人目を気にせず泣くことで、内側に溜まった過負荷を一度解放し、神経のバランスを取り戻す。芸能界で「美」を体現し続ける彼女が、そうした荒っぽいまでの自己調整を選んだ事実に、むしろ本物の強さを感じる。
表情や仕草から読み取れる本音も、過去の彼女とは明らかに違う。若い頃のグラビアやドラマでは、どこか挑むような鋭い目線や、体を武器にするようなキレがあった。でも今回の取材写真や言葉からは、痛みを通過した後の「柔らかさ」がにじみ出ている。肩の力を抜いた微笑み、体の声に耳を傾けるような穏やかな仕草。あれは「勝った」顔じゃない。「共に生きることを決めた」顔だと思う。筋トレを25年続けてきて気づいたのは、限界を超えた後に残るのは筋肉じゃなく「自分との対話の質」だということ。ベンチプレスでフォームが崩れて重量を落としたとき、悔しさより「今の体が何を求めているか」を聞くようになってから、怪我も減り、精神的なブレも少なくなった。杉本さんが閉経後に「今が一番幸せ」と言い切れるのも、同じ対話を病の只中で繰り返してきたからこそだろう。

似たような人間ドラマは、芸能界以外にもたくさんある。例えば同じ子宮腺筋症を公表した鈴木紗理奈さんのケースでは、「女性ホルモンが1ミリもない」と明るく宣言し、ミレーナ装着で生理を止める選択をした。杉本さんは薬の副作用を避けて「耐えて待つ」道を選んだ。どちらが正しいわけでもない。ただ、杉本さんの場合、過去に家族の崩壊や15歳での自傷行為、離婚、母妹との絶縁といった深い傷を何度も乗り越えてきた人だ。その積み重ねが、今回の「うつ寸前」の局面で「薬に頼らず体のリズムに合わせる」という選択を自然に生んだのかもしれない。業界の人間関係の機微を見てきて思うのは、表舞台で輝き続ける人ほど、裏で「自分を整える技術」を持っているということ。杉本さんの場合、それはダンスを続けてきた身体感覚と、動物愛護活動で培った「弱者への眼差し」が融合した結果だろう。
俺自身、道場で後輩がメンタルを崩しかけたとき、技の指導より先に「今の体がどう感じているか、正直に言ってみろ」と聞いたことがある。最初は「痛いです」としか返ってこなかったが、繰り返すうちに「足が重い」「息が浅い」と具体的になっていった。その過程で彼は自分で調整法を見つけ、復帰した。杉本さんがレシピ本で「美筋」を提唱し、筋肉不足が不調の原因だと語るのも、同じ「体の声を聞く」姿勢の延長線上にある。病気をただ乗り越えたのではなく、そこから「自分を幸せにする技術」を磨き上げた点が、他の闘病告白とは一線を画している。

こうした話を聞いていると、ふと自分に問いかけたくなる。痛みや不調を「ただ我慢する」だけで終わらせていないか。体の信号を無視して、仕事や見栄で押し通していないか。杉本さんの飛行機での号泣は、恥ずかしさを超えて自分を守るための「本気の選択」だった。俺たちも日常の小さな違和感に、もっと素直に向き合っていいのかもしれない。
あなたは最近、体や心の「もう無理」というサインを、どう扱っていますか? 我慢で押し通すのか、それとも一度立ち止まって声を聞くのか。コメントで教えてもらえると嬉しいです。同じような経験をした人の声が、誰かの支えになることもあるから。
このテーマに関連して、似た経験を持つ人にとって役立つかもしれない本として、心身の回復と向き合う視点を持つ一冊を挙げておきます。
『体の声を聞く技術』(講談社) ― 日常の不調を「無視しない」ための具体的なヒントが詰まった内容です。興味があれば手に取ってみてください。


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