ソフトマッチョの視点で読む、ハロプロの人間ドラマ。25年の筋トレとフルコン空手で培った「我慢の正体」を、井上玲音さんの言葉に重ねてみました。
道場で後輩が「また同じ失敗した」と肩を落とした夜、俺は自分の右肩を無意識に揉んでいた。フルコンタクト空手で15年前、相手のローキックを受けすぎて靭帯を痛めた時の癖がまだ残ってるんですよね。あの時「もうこの場所では戦えない」と思った自分が、復帰後に同じマットで初めて相手の息遣いを近くで感じた瞬間の、胸の奥がざわついた感覚。井上玲音さんのブログを読んだ時、ふとその記憶が蘇ったんです。
2026年7月24日、Juice=Juiceの秋ツアー「5ROOMS」発表後の公式ブログ。玲音さんはこう書いていました。「東京公演やばい あの場所で沢山のペンライトが輝いてるの 見たいなぁ✨」

事実の整理
玲音さんは2020年3月30日、こぶしファクトリーの解散ライブをTOKYO DOME CITY HALL(現・Kanadevia Hall)で迎えた。コロナ禍で無観客。ファンの顔も、ペンライトの光も、直接届かないままグループは幕を閉じた。翌日4月1日にJuice=Juiceへ移籍。それから6年半が過ぎ、2026年11月16日・17日、同じ会場でJuice=Juiceとしての公演が決まった。秋ツアーの中で、彼女が「あの場所」と呼んだのは、まさにこのホールだ。
この一言が、ただの「嬉しい報告」で終わらない理由がある。
無観客だったあの日のステージを想像してみてほしい。音は響く。照明は当たる。でも客席は真っ暗で、誰の目も合わない。玲音さんは当時まだ18歳だった。グループの「居場所を作る」と宣言してハロプロに残り、Juice=Juiceの一員として走り続けた6年半。サブリーダーになり、ビートボックスで会場を沸かせ、春ツアーではぴあアリーナMMで9000人を前に「限界突破」を叫んだ。勢いは確実に上がっている。それでもブログの文字は、派手な叫びじゃなくて、静かに「見たいなぁ」と揺れていた。

俺が思い出したのは、怪我明けの組手だ。靭帯がまだ完全じゃない頃、同じ道場の先輩に「距離を取れ」と何度も注意された。近づけば痛い。でも近づかないと、相手の呼吸も、足の運びも、何も見えない。結局、ある日の練習で思い切って間合いを詰めた時、先輩の汗の匂いと、息を吐くタイミングが初めて肌でわかった。その瞬間「ああ、ここにいたんだ」と身体が覚えたんです。痛みは残ってたけど、光が見えたような感覚があった。
玲音さんにとっての「あの場所」は、たぶんそういう場所なんじゃないか。解散ライブでファンの顔を直接見られなかった空白が、6年半かけて少しずつ埋まってきた。今のJuice=Juiceは「盛れ!ミ・アモーレ」で勢いを得て、武道館公演も決まった。でも彼女が特に「やばい」と書いたのは、武道館ではなく、あのホールだった。大きな舞台より、かつての痛みが残る場所で、ようやくペンライトの光を浴びたい——その優先順位が、人間くさい。
業界では移籍組が「前のグループの影」を引きずると言われがちだけど、玲音さんの場合は違う。こぶしファクトリー時代の無観客という経験を、Juice=Juiceの「今」に静かに重ねている。ファンの反応を見ていても「れいれい、やっとだね」という声が多い。派手な祝福より、そっと肩を叩くような温かい空気が流れているのが印象的だった。
筋トレを続けていて気づいたのは、限界重量を上げる時って、フォームを根本からやり直す期間があることなんです。バーが重くて怖くて、つい肩に力が入る。でもある日、腰の位置を2センチだけ変えたら、急にスムーズに上がった。その「2センチ」を見つけるまでの何ヶ月かは、ただの我慢じゃない。過去の失敗を身体に染み込ませて、次の一手を待つ時間だ。玲音さんの6年半は、きっとその「2センチ」を探していた時間だったんじゃないかと思う。
11月の公演が近づくにつれて、彼女の表情がどう変わるのかが気になる。ブログの「見たいなぁ」は、まだ少し遠慮がちな響きだった。でも実際にペンライトの海を見た瞬間、きっとその目は、もっと真っ直ぐになるはずだ。武道の世界で言う「残心」——技を終えた後も気を抜かない心。玲音さんは解散の日に「居場所を作る」と宣言して、6年半かけて本当にそれを作ってきた。今度は、その居場所に光を届けてもらう番だ。
あなたは、過去に「もう二度とあの場所には立てない」と思った経験、ありますか? そして、もし立てるようになった時、最初に見たいものは何でしたか?
このテーマに近い「我慢と向き合う力」を考える時、参考までに手に取ってみた本があります。怪我からの復帰や、長期の忍耐を扱ったものが自分にはしっくりきました。興味があれば調べてみてください。
文・ソフトマッチョ(筋トレ25年/フルコン空手)


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