銭湯のドライヤーを足の指や股間に向けてる人を見た瞬間、怒りより先に「情けなさ」が込み上げてくる——角田信朗さんのその率直な言葉が、なぜこんなに胸に刺さるのか。自分の筋トレ仲間でも似た場面を何度か目撃してるから、余計に耳が痛い。

角田さんは7月25日までに自身のInstagramストーリーズを更新し、こう綴った。「新幹線で靴を脱いで前の座席の背もたれに足を乗せたり 銭湯やサウナのドライヤーで足の指や股間を乾かす奴 そのデリカシーの無さに怒りを通り越して情けなさしか湧かない」「ドライヤーは髪の毛を乾かすモノ やるなら家のドライヤーでやれ」。
65歳になった今もボディビルダーとして鍛え続け、正道会館の最高顧問を務める彼の言葉だけに、ただの愚痴では終わらない重みがある。新幹線と銭湯という全く違う場所を並べて「デリカシー」の一点で結んでいるのが、彼らしいなと感じた。
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事実を最小限にまとめると、角田さんは公共空間での「自分だけが気持ちいい」行為に、怒りではなく情けなさを覚えている。ドライヤーの本来の用途をわざわざ強調したところに、単なるマナー違反指摘を超えた「当たり前の感覚が揺らいでいる」という危機感がにじむ。
ここで僕がふと思い出したのは、道場でのある組手の経験だ。10年ほど前、フルコンタクトの試合前練習で、後輩が何度も同じパターンでガードを崩してくる相手に対し、わざと大きな動きで「見せてやる」ような攻め方をしたことがあった。相手は明らかに慌てて、足を滑らせて転びそうになった。その瞬間、僕自身の体が「これは勝ちじゃない」と拒否反応を起こした。筋肉が硬直する感覚と、同時に「相手の目を見てない」という自分の甘さが腹立たしかった。勝つことより、相手を尊重した距離感のほうが長く残る。銭湯のドライヤー問題も、似た匂いがする。

角田さんの「怒り通り越して情けなさ」という言葉の裏側には、おそらく長年見てきた「公共の場での緩み」がある。銭湯は本来、裸で入り、体を清め、静かに回復する場だ。サウナブームで新規層が増えた今、家の延長のように振る舞う人が目立ってきたのは事実だろう。ドライヤーで足の指を乾かすのは水虫予防として理にかなっている場合もあるが、股間までとなると、周囲の視線を完全に無視した行為になる。
僕自身、筋トレを25年続けてきて、ジムのシャワールームで似た光景を何度か目にした。ある時、限界まで追い込んだベンチプレスの後、脱衣所で自分のフォームの崩れを鏡で確認しながら、隣の人が勢いよくドライヤーを体中に当てているのを見た。風の音が異常に大きく、周囲が明らかに身をすくめていた。その時、僕は「自分の限界を知る力」と「周囲の空気を読む力」が、筋トレでは同じ筋肉群で育つはずなのに、なぜか片方だけが衰える人がいるな、と感じた。限界を感じる瞬間にフォームを根本から直した経験があるからこそ、相手の「緩み」がより鮮明に映る。
角田さんの言葉が広がっている背景には、ファンや同世代の「わかる」という共感がある一方で、「角田さん自身も昔は厳しかったのに」という声も一部に見られる。でも、彼がレフェリー時代から一貫して「場の空気」を重視してきた人だということを思うと、今回の苦言は一貫している。新幹線の足乗せも銭湯のドライヤーも、どちらも「自分の快適さ」を優先して他者の空間を侵している点で同じ。人間関係の機微で言えば、これは「見えないガードを無視する」行為だ。
業界の人間関係を長く観察してきて気づくのは、タレントやアスリートが公共の場でこうした発言をするとき、たいてい「自分も昔やらかした」という自省が隠れている場合が多い。角田さんの表情からは、ただの怒りではなく、どこか寂しげな「時代が変わったな」という色がにじんでいるように見える。ストーリーズという短く消える媒体を選んだのも、説教ではなく「気づき」として投げかけたかったからかもしれない。

僕が道場で後輩のメンタルを守ったとき、相手が「自分だけが正しい」と思い込んで暴走しそうになった場面があった。そのとき「正しさより、相手の目を見る余裕を持て」と伝えた。銭湯も同じで、ドライヤーを使う行為自体が悪いわけではない。問題は「周りがどう感じるか」を想像する力が落ちていることだ。角田さんが「家のドライヤーでやれ」と締めくくったのは、シンプルだけど本質を突いている。
こういう話を聞くたびに、自分の日常を振り返ってしまう。筋トレ後のシャワーで、タオルを丁寧に使うか、ドライヤーの風を必要以上に長く当てていないか。小さな「デリカシー」が積み重なって、公共空間の空気を作る。角田さんの言葉が刺さるのは、そこに自分の「心当たり」を重ねる人が多いからだろう。
銭湯でドライヤーを使っている人を見たとき、あなたは何を感じる? 怒りか、情けなさか、それとも「自分も気をつけよう」か。角田さんの苦言が、ただの炎上ネタで終わらず、少しでも公共の場の空気を変えるきっかけになればいいなと思う。
このテーマに関連して、似た経験を持つ人にとって役立つかもしれない本として、武道の精神から「他者への配慮」を学ぶ一冊があります。
武士道(新渡戸稲造) — 公共の場での「恥」と「礼」について、静かに考えさせられる古典です。


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