中川翔子さんが山田五郎さんの死を悼む投稿を読んで、胸の奥がじんわり熱くなったんですよね。20年も一緒にラジオをやってきたふたりの関係が、ただの「共演者」じゃなくて、もっと深いところまで根を張っていたのが伝わってきて……。特に「7月14日、会いに行きました。あと5分、間に合いませんでした」という一文が、なんか生々しくて、リアルで、忘れられない。
事実の整理
美術評論家でタレントの山田五郎さん(67)が7月14日に亡くなられました。がんとの長い闘病の末でした。中川翔子さんは即座にXで追悼投稿をし、約20年にわたるラジオ番組『山田五郎と中川翔子のリミックスZ』(前番組含む)での思い出を振り返りました。スカシカシパンや深海生物などのマニアックな話題を笑いながら語り合った時間、どんな自分も否定されなかったこと、そして最後に駆けつけたのに5分遅れてしまった悔しさを、素直に綴っています。たくさんの2ショット写真も添えられていました。
中川さんの言葉で特に心に残ったのは、「五郎さんがいてくれたから、私は私のままでいていいんだ、好きなものを好きと言っていいんだと思えました」という部分。20年という歳月が、ただの時間じゃなくて「存在そのもの」を肯定し合っていた関係だったのが伝わってきます。

独自分析 「間合い」を読み合っていたふたり
武道を長くやってきて気づくのは、組手で本当に強い相手と組むときって、言葉じゃなく「間合い」と「タイミング」で全部通じ合ってるんですよね。相手の肩がわずかに落ちる、腰が微かに沈む、その瞬間に自分の体が勝手に反応する。あの「読む」感覚が、翔子さんと五郎さんの20年にも通じる気がしてならないんです。
中川さんが「あと5分、間に合いませんでした」と書いたときの胸のざわつきは、ただの遅刻の後悔じゃなくて、「あのタイミングで最後の言葉を交わしたかった」という、深く根を張った信頼関係の喪失なんだと思います。道場で後輩が大事な試合の前にケガをしてしまったとき、後輩の顔を見て「もっと早く気づいてやればよかった」と自分を責めた経験があるんですけど、あのときの無力感にすごく近いものを感じました。翔子さんもきっと、五郎さんの「穏やかな顔」を見て、同じような想いを抱いたんじゃないでしょうか。
【画像推奨箇所:山田五郎さんと中川翔子さんがラジオで笑い合っているようなアーカイブ写真、または焼肉を囲むリラックスした様子。表情の緩みと信頼感が伝わるものを】五郎さんががんを公表してからも、毎月のラジオでエクレアを完食して笑っていたという話。翔子さんはそれを「この時間はこれからもずっと続く」と勝手に信じていたと言っています。長年一緒に組んできたパートナーだからこそ、相手の「本気で頑張ってる顔」と「無理して笑ってる顔」の微妙な違いを、言葉にしなくても感じ取れていたんだと思います。
筋トレで長年続けてきてわかったのは、フォームを根本から直すときって、最初は「力任せ」で頑張ろうとしてしまうんです。でも鏡や動画で自分の動きを客観的に見て、「ここが甘い」と気づいた瞬間、急に動きが変わる。あの「自分を客観視する力」が、翔子さんと五郎さんの関係にもあった気がします。五郎さんは翔子さんの「キモい」話も「どうしようもねえなあ」と笑いながら受け止めて、でもちゃんと心配して、褒めて……。それが積み重なって、翔子さんが「私のままでいい」と思える土台になった。
特に印象的だったのは、翔子さんが一人でラジオの席に座って、五郎さんがいつも食べていたエクレアを自分で食べたというエピソード。些細な習慣まで共有していたふたりの日常が、突然欠落したときの寂しさが、痛いほど伝わってきますよね。道場で長年一緒に汗を流した先輩が突然いなくなったとき、道着の匂いやタオルの置き場所までが急に寂しく感じるのと、すごく似てる気がします。
五郎さんが昏睡状態から回復したときに語った「死は無じゃない。意識は続いていて……」という言葉を、今も翔子さんが胸にしまっているのも、ただの慰めじゃなくて、ふたりが長年積み上げてきた「本音のやり取り」の延長線上にあるように感じます。表面的な励ましじゃなく、相手の核心に触れる会話ができる関係って、武道で言うところの「本当の間合い」が取れている証拠なんだと思います。

締めくくり これからどう向き合うか
中川翔子さんが「お父さんを失うって、こんな気持ちなんだ」と素直に書いていたのが、すごく印象的でした。20年という歳月は、ただの共演期間じゃなくて、人生の半分を一緒に「好奇心を肯定し合う」関係を築いてきた証拠です。五郎さんがいなくなった今、翔子さんがその「穴」をどう埋めていくのか……それは彼女自身がこれから決めることですが、少なくとも「好きなものを好きと言っていいんだ」と思える土台をくれた五郎さんの存在は、彼女のこれからの活動の大きな支えになるはずです。
私自身、道場やジムで長く続けてきた人間として思うのは、こうした「当たり前だと思っていた関係」が、実はどれだけ脆くて、でもかけがえのないものかということ。翔子さんの追悼を読んで、改めて「今、目の前にいる人との間合い」を、大事にしたいなって思いました。
あなたは、長年一緒にいる誰かとの「当たり前」の関係を、最近改めて感じることはありますか? もしよかったら、コメントで教えてください。


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